Byronic Unhappiness

1人の大学生が考えた事をつらつらと書いていきます

現代日本とオブローモフ主義

日本社会では、「経済的成長」という成果により様々な問題点が内包されているにも関わらず正当化されてきた様々な価値観・規範などが危うくなり、崩壊していくようで非常に興味深い。社会通念を徹底的に相対的思考の中で理性によって崩壊させて皮肉る事などはは非常に楽しいことではある。

 

戦後日本における大きなアイデンティティとして「経済」というものが1つの大きな柱となってきたように思われるが、その日本経済が黄昏を迎えるとともに、アイデンティティが失われていく中でそれを根拠として存在していた価値観や規範が一気に崩壊する様は非常に興味深いと思う。

 

しかし悲しいことに、現実社会における規範を(多くの場合)守り、運用する殆どの人間は「過去の遺物」である価値観や規範から成功体験が理由で抜け出せていない。

輝かしい過去の栄光、及びその規範や価値観の下で成熟した社会が存在する以上、その遺物は必然的に崇められ、規範として存続させようとする。

そのような「抑圧」の下において、知性と理性を磨いている、ある種のインテリを目指す(比較的自由主義的な)人々はオブローモフ主義※に染まることになるのではないだろうか。

 

無限の成長という幻想の中で、立身出世や裕福さを求められる価という状況がそうさせたのかもしれないが、自助論的価値観が正統でありそれ以外は基本的に異端とみなされるような状況において、オブローモフ主義は激しい非難に晒されるだろう。しかし、そのような非難は知識人の卵を世俗から逃避させることに拍車をかけるのではないだろうか。

 

オブローモフ主義・・・教養や才能を持ちながらも、抑圧などの外的要因によって無気力・無関心となり、現状に絶望しながらも怠惰な生活を送る状態 という解釈で使いました。